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●「ヤフコメ民」とは?のプチ研究。 [「言葉」による革命]

●「ヤフコメ民」とは?のプチ研究。

末尾ルコ「社会&人間観察で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「ネット民」という言葉があるが、さらに細分化して(笑)、「ヤフコメ民」という言葉もあるようだ。
「ヤフコメ民」とは、Yahooニュースのコメント欄に書き込む人たちのことだが、だいたいこの欄に書き込まれる内容のレベルは極めて低く、特にテレビのニュースネタになるような話題には、(日本にはこんなに××な人が生息しているのか)と壮観状態になる。
匿名でコメント欄などに書き込んで何がおもしろいのかと思うのだが、コメントによっては「そう思う」という「いいね」に似たボタンを1万以上も押されていて、ひょっとしてそれが嬉しいのだろうか。
しかし何万の「そう思う」が押されようと、Yahooニュースコメント欄は通常記号のような匿名で書き込むものであり、「誰が書いたか」なんてことは誰も知ったことではないのだけれど、それでも一人自己満足の世界に浸っているのだろうか。
そもそも「そう思う」が1万以上押されているようなコメントは、低レベルのヤフコメ欄でもさらに低レベルの、要するに大衆迎合・風潮迎合の幼稚な内容に幼稚な人たちが「そう思う」を押しているケースがほとんどのように見える。
まあしかしそれでも、「愚劣な内容」を書き込むことでおるのだろうなあ。
と言うか、いなければ、あれだけコメントが集まるはずもないのであるが。
Yahooコメント欄を「廃止すべき」という声もあり、Yahooも「改善に向けて検討する」的コメントを出していたこともあったけれど、どう見ても改善してないのである。
そうしたコメントを書き込むことが「ガス抜きになっている」という言い方もあるけれど、いろんな意味で極めて不毛な話である。
以前の統計で、Yahooコメント欄に書き込むのは中年男性の割合が多いということだったが、確かにコメントのほとんどは、いかにも「モテない閉鎖的な思考停止の中年男」が書きそうな内容が多い。
そしてちょいちょい見かけるのがコメントの中に、「ヤフコメ民ってさあ」的なことを書いている輩・・・つまりYahooコメント欄へ書き込んでおきながら、「自分はヤフコメ民の外」へ置いているのである。
「いや、あなたこそ立派なヤフコメ民だよ」と優しくお仕置きしたくなるところだし、いや実際厳しくお仕置きしたくなる愚劣コメントが満載で、(世の中こんな連中もいる)という人間観察にはなるのだが。
もちろんヤフコメ民とは、「身元が分からないので、お仕置き受ける心配もない」から書き込める臆病者が大部分なのであるが。
(ちなみに、少数ながら、いいコメントがないわけではないことも付け加えておこう)

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、緑黄色野菜」篇。2018年1月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、緑黄色野菜」篇。

「猫、緑黄色野菜」

思い出したかい
思い出したかい
芥藍菜という名の
アブラナ科の緑黄色野菜
思い出したかい

・・・・・・

緑黄色野菜の栄養
滋養を
ぼくの素敵なネコと一緒に
楽しみたいのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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●〈「言葉」による革命〉・・・「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

※2018年2月5日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。

はい。

「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。

そうなのです。
人間というものは毎日の生活に追われていたら、「美」の存在などどうしても忘れてしまいがちです。
それでも女性はまだ、いかに忙しくても「美」への志向を忘れない傾向はありますね。
男性は一般的にそうでもない。
この辺りの意識の違いが男性と女性の感情の齟齬を生む大きな一因になっているのですが、ここに言及する人はあまりいません。
恐らく多くの人たちの中に、

「男はそんなものだから」
「女はそんなものだから」

などといった思考停止の決まり言葉があるのでしょう。
私は当然ながら、こうした言葉は大嫌いです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「テイラー・スウィフトもビヨンセも〈うるさい〉と感じた時に、アグネス・オベルのAgnes Obelの、「Words Are Dead」がお薦め。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「テイラー・スウィフトもビヨンセも〈うるさい〉と感じた時に、アグネス・オベルのAgnes Obelの、「Words Are Dead」がお薦め。

末尾ルコ「音楽で知性と感性を鍛えるレッスン」

前にテイラー・スウィフトの歌に対して「やかましいと感じる時がある」という意味のことを書きました。
テイラー・スウィフトの世界的爆発的人気は分かるのですが、音楽そのものを誉めそやすのはいかがなものか。
デビュー間もない頃からテイラー・スウィフトのアルバムは聴いてきたけれど、「音楽だけ」でそれほど「いい」と感じたことは一度もない。
「音楽だけ」なら、テイラー・スウィフトより「いい」人は世界中いくらでもいると思います。
そして時にその「あまりにスターな存在」そのものを「うるさい」と感じることもある。

ビヨンセにも同様な感じを受けることがあり、ビヨンセは「音楽だけ」でもテイラー・スウィフトより「いい」とは思うけれど、やはりいろんな意味で「うるさい」と感じる時間はある。

というわけで、

アグネス・オベルをお薦めします。

Agnes Obelの、「Words Are Dead」。

音楽そのものの、楽器そのものの、そして声そのものの美を堪能することができる。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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山田姉妹へのメッセージ「波」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

籠の向こうにお二人の麗しいお顔が見えます
とても詩的なイメージです
まるで籐の編み物の海
籐の編み物の波の向こうに
お二人がいるようです

そしてわたしは、
今週必ず
ウィンナーロールを食べる決意を今
この胸に

RUKO

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●身長188cmのマリア・シャラポワのファンであるわたしが、実物のシャラポワに間違いなく「恋しない」理由。 [「言葉」による革命]

●身長188cmのマリア・シャラポワのファンであるわたしが、実物のシャラポワに間違いなく「恋しない」理由。

末尾ルコ「恋愛論とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

おそらく「世界で最も有名なスポーツ選手の一人」であるマリア・シャラポワの身長は188cmである。
188cm・・・これはなかなかの高さである。
高いハイヒールを履けば、優に2mは超すだろう。
ある女性(日本人)にそんな話をしたら、「ハイヒールは履かないでしょう」と言ったけれど、それは日本人的考え方で、女子テニス選手、どんなに背が高くても非常に高いハイヒールを履くのである。
WTAツアー大会の全てかどうかは知らないが、多くの大会前に選手や関係者のパーティが開かれるのだが、そこへ女子テニス選手たちがドレスアップして来るのである。
さすがにハリウッド女優のようにバッチリ決まるというわけにはいかない。
テニス選手はテニスウェア姿が最も美しいのであるから。
それはさて置き、女子テニスのトッププレイヤーたち、そうしたパーティに、(ここまで高いヒールを?)と思わせるほどのハイヒールを履いてくる。
だからその会場では、190cm台、あるいは2mに達しようという女性たちが続出ということになる。

ここで個人的な「異性の好み」を書かせていただくと、わたしは今まで「自分より背の高い女性」に恋心を抱いたことはない。
もちろん日本に「わたしより背の高い女性」はそんなに多くはないのだけから、確率的にに見ても、「わたしより背の低い女性」を好きになる確率の方が遙かに高くなるので比較は難しいが、それでも近年は若い情勢にとても背の高い人も増えているけれど、その人たちに対して「恋心」に近い感情すら持ったことがない。
言うまでもなく、これは「背の高い女性に魅力がない」と主張しているのではなく、単に「わたしの好み」の話である。
さらに「好み」について語らせていただければ、わたしは「155~162,3cm」くらいの女性」が、身長的には最も恋心を抱きやすい。
ただ、それよりもかなり低い女性を好きになったこともあるし、それよりも高い女性を好きになったこともある。
が、「自分より背の高い女性」を好きになったことはない。
などと書くと、「自分より背の低い女性を好きなのは、支配できそうな女性を好んでいるのではないか」などと浅薄な分析をする人も出てきそうだが、それはまったく違う。
「まったく違う」証明をここでする必要はないと思うが、本当にまったく違うのである。

で、例えばわたしはマリア・シャラポワのファンであり、テレビで観ている分には、(綺麗で、素晴らしい脚線美だな)と惚れ惚れするのだけれど、テレビに映し出されるシャラポワは50cmの身長もなく(笑)、もし本物のシャラポワが目の前にいても、間違いなく「恋心」は起きないのである。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、記憶」篇。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、記憶」篇。

「猫、記憶」

思い出してみよう
思い出してみよう
思い出してみよう
アブラナ科の緑黄色野菜
芥藍菜という名の

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
ぼくの記憶を
極限まで一致させよう、
人生を懸けて!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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●1970年代のキャサリン・ロスと日本の映画状況。 [「言葉」による革命]

●1970年代のキャサリン・ロスと日本の映画状況。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

キャサリン・ロスのファンだった時代はしばらく続いた。
当時はまだ街の映画館に、さほど大作でなくても多くの洋画がかかっていた。
キャサリン・ロスなんていう、米国では1級とは言い難い女優でも日本でけっこう名が知られていた。
しかしキャサリン・ロスを「青春女優」として有名にした『卒業』の日本公開は1967年、『明日に向かって撃て!』は1969年であって、わたしはリアルタイムで鑑賞してはいないという話は既にしたが、高知でも名画座があって、幸いなことにそこで『明日に向かって撃て!』などは何度となく劇場鑑賞できた。
それはさて置き、わたしがキャサリン・ロスのファンになったのは70年代半前後のことで、何とその時点から4本のキャサリン・ロス出演映画を劇場で鑑賞している。
いかに洋画が日本の社会に溶け込んでいたかが、いかに現在と社会状況が違っていたかがよく分かる。
その4本とは、

『さすらいの航海』
『ベッツィー』
『スウォーム』
『レガシー』

『スウォーム』とか『レガシー』とか、よくこんな映画を観に行ったなと思うのだけれど、当時はキャサリン・ロス出演作に限らず、かなりヘンな作品でも映画館で観ていたわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年1月25日 [愛の景色]

あなたは最高の
人間 女性
それなのに天使

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