SSブログ

●〈「言葉」による革命〉・・・「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

※2018年2月5日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。

はい。

「美」を日常の中へ忍び込ませる方法~人生に必要な3要素「美・力・笑」。

そうなのです。
人間というものは毎日の生活に追われていたら、「美」の存在などどうしても忘れてしまいがちです。
それでも女性はまだ、いかに忙しくても「美」への志向を忘れない傾向はありますね。
男性は一般的にそうでもない。
この辺りの意識の違いが男性と女性の感情の齟齬を生む大きな一因になっているのですが、ここに言及する人はあまりいません。
恐らく多くの人たちの中に、

「男はそんなものだから」
「女はそんなものだから」

などといった思考停止の決まり言葉があるのでしょう。
私は当然ながら、こうした言葉は大嫌いです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

nice!(8) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「テイラー・スウィフトもビヨンセも〈うるさい〉と感じた時に、アグネス・オベルのAgnes Obelの、「Words Are Dead」がお薦め。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「テイラー・スウィフトもビヨンセも〈うるさい〉と感じた時に、アグネス・オベルのAgnes Obelの、「Words Are Dead」がお薦め。

末尾ルコ「音楽で知性と感性を鍛えるレッスン」

前にテイラー・スウィフトの歌に対して「やかましいと感じる時がある」という意味のことを書きました。
テイラー・スウィフトの世界的爆発的人気は分かるのですが、音楽そのものを誉めそやすのはいかがなものか。
デビュー間もない頃からテイラー・スウィフトのアルバムは聴いてきたけれど、「音楽だけ」でそれほど「いい」と感じたことは一度もない。
「音楽だけ」なら、テイラー・スウィフトより「いい」人は世界中いくらでもいると思います。
そして時にその「あまりにスターな存在」そのものを「うるさい」と感じることもある。

ビヨンセにも同様な感じを受けることがあり、ビヨンセは「音楽だけ」でもテイラー・スウィフトより「いい」とは思うけれど、やはりいろんな意味で「うるさい」と感じる時間はある。

というわけで、

アグネス・オベルをお薦めします。

Agnes Obelの、「Words Are Dead」。

音楽そのものの、楽器そのものの、そして声そのものの美を堪能することができる。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

山田姉妹へのメッセージ「波」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

籠の向こうにお二人の麗しいお顔が見えます
とても詩的なイメージです
まるで籐の編み物の海
籐の編み物の波の向こうに
お二人がいるようです

そしてわたしは、
今週必ず
ウィンナーロールを食べる決意を今
この胸に

RUKO

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

●身長188cmのマリア・シャラポワのファンであるわたしが、実物のシャラポワに間違いなく「恋しない」理由。 [「言葉」による革命]

●身長188cmのマリア・シャラポワのファンであるわたしが、実物のシャラポワに間違いなく「恋しない」理由。

末尾ルコ「恋愛論とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

おそらく「世界で最も有名なスポーツ選手の一人」であるマリア・シャラポワの身長は188cmである。
188cm・・・これはなかなかの高さである。
高いハイヒールを履けば、優に2mは超すだろう。
ある女性(日本人)にそんな話をしたら、「ハイヒールは履かないでしょう」と言ったけれど、それは日本人的考え方で、女子テニス選手、どんなに背が高くても非常に高いハイヒールを履くのである。
WTAツアー大会の全てかどうかは知らないが、多くの大会前に選手や関係者のパーティが開かれるのだが、そこへ女子テニス選手たちがドレスアップして来るのである。
さすがにハリウッド女優のようにバッチリ決まるというわけにはいかない。
テニス選手はテニスウェア姿が最も美しいのであるから。
それはさて置き、女子テニスのトッププレイヤーたち、そうしたパーティに、(ここまで高いヒールを?)と思わせるほどのハイヒールを履いてくる。
だからその会場では、190cm台、あるいは2mに達しようという女性たちが続出ということになる。

ここで個人的な「異性の好み」を書かせていただくと、わたしは今まで「自分より背の高い女性」に恋心を抱いたことはない。
もちろん日本に「わたしより背の高い女性」はそんなに多くはないのだけから、確率的にに見ても、「わたしより背の低い女性」を好きになる確率の方が遙かに高くなるので比較は難しいが、それでも近年は若い情勢にとても背の高い人も増えているけれど、その人たちに対して「恋心」に近い感情すら持ったことがない。
言うまでもなく、これは「背の高い女性に魅力がない」と主張しているのではなく、単に「わたしの好み」の話である。
さらに「好み」について語らせていただければ、わたしは「155~162,3cm」くらいの女性」が、身長的には最も恋心を抱きやすい。
ただ、それよりもかなり低い女性を好きになったこともあるし、それよりも高い女性を好きになったこともある。
が、「自分より背の高い女性」を好きになったことはない。
などと書くと、「自分より背の低い女性を好きなのは、支配できそうな女性を好んでいるのではないか」などと浅薄な分析をする人も出てきそうだが、それはまったく違う。
「まったく違う」証明をここでする必要はないと思うが、本当にまったく違うのである。

で、例えばわたしはマリア・シャラポワのファンであり、テレビで観ている分には、(綺麗で、素晴らしい脚線美だな)と惚れ惚れするのだけれど、テレビに映し出されるシャラポワは50cmの身長もなく(笑)、もし本物のシャラポワが目の前にいても、間違いなく「恋心」は起きないのである。

nice!(22)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、記憶」篇。2018年1月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、記憶」篇。

「猫、記憶」

思い出してみよう
思い出してみよう
思い出してみよう
アブラナ科の緑黄色野菜
芥藍菜という名の

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
ぼくの記憶を
極限まで一致させよう、
人生を懸けて!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート