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●〈「言葉」による革命〉・・・●あなたにもできる!「小さな戦い」を始め、積み重ねましょう。2018年1月31日 [「言葉」による革命]

※2018年2月9日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「小さな戦い」を始め、積み重ねましょう。

あなたにとって、「大切な人」とは誰ですか?
あなたにとって、「大切なもの」とは何ですか?

あなたはそれら「大切な対象」のために何をしていますか?
それら「大切な対象」のために、「戦い」をしていますか?
戦っていますか?

「戦い」はどなたでも始められます。
もちろん「暴力」など一切使わない「戦い」です。
人生の中の多くの不調は、「戦い」を忘れた怠惰な心が創り上げてしまうのです。
そして、「戦わなければ、大切な人、大切なこと」を守り、豊かにすることはできません。
〈「言葉」による革命〉は、まずどなたにもできる、

「小さな戦い」の方法論から

ご教示いたします。

(続きは、有料メルマガでお願いします)


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年1月31日 [愛の景色]

ほんの少しだけ
突き出た
下唇からも

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「パトリシア・ハイスミス『キャロル』、テレーズの心理描写。メジャーなものを貶してカッコつける✕✕男」。2018年1月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「パトリシア・ハイスミス『キャロル』、テレーズの心理描写。メジャーなものを貶してカッコつける✕✕男」。

末尾ルコ「文学で知性と感性を鍛えるレッスン」

パトリシア・ハイスミスは言うまでもなく、映画史上に燦然と輝く濃厚かつ悦楽的な『太陽がいっぱい』の原作者である。
嗚呼、高校時代、同学年のある男が、「『太陽がいっぱい』、ふっ、あんな退屈な映画はない」なんてのたまって、(ああ、こいつ、救いようのない馬鹿だなあ)と感じたものだが。
いや、別に『太陽がいっぱい』を「退屈」と感じる人すべてが「馬鹿」だと言っているのではなくて、その男が「退屈だ」とのたまった理由が、「メジャーな映画を貶して通ぶる」というたった一つの目的だと見え見えだったから「馬鹿」だと断じるのである。
でもそんな人、「識者」や「大学教授」などの中にもいっぱいいるでしょう。恥を知れ!である。
パトリシア・ハイスミスの『キャロル』原作の大きな魅力の一つは、テレーズの心理がより詳細に描写されている点だ。
テレーズ。映画ではルーニー・マーラが演じた、脆そうで強そうなテレーズ。とりわけ「仕方なく付き合っている男リチャード」に対する心理描写が実に興味深い。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●山田姉妹へのメッセージ「白糸の滝」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

これは観逃してしまいました。ごめんなさい!
猛省のために、現在極寒の中、白糸の滝にうたれております(←冗談です 笑)。
広島でのご滞在が素敵なお時間でありますように!RUKO


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●昭和プロレスと知的・精神的訓練~ハーリー・レイスと「プロレスラーの光と影」。 [「言葉」による革命]

●昭和プロレスと知的・精神的訓練~ハーリー・レイスと「プロレスラーの光と影」。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

昭和の時代、少なくとも1980年代前半までにプロレスファンだった人間は、好もうが好むまいが、「普通に暮らしている」人たちにはすることのない知的・精神的訓練を強いられていたものだった。
「プロレス」とはどういうジャンルであるかという定義は千差万別に可能だが、少なくとも昭和においては次のようにも言えた。


・「ファンである」というだけでさげずまれる可能性のあるジャンル。

プロレスそのものだけでなく、プロレスファン全体をさげずんだ歴史的発言をしたのは「痴の巨人」、いや「知の巨人」(と言われる)立花隆だが、その発言内容はその辺のプロレスを舐め切っていた「おっさん」や「ジャリ」と同レベルのものだった。(ここでは敢えて「おっさん」「ジャリ」という言葉を使用しております)

それはさて置き、わたしが中学2年くらいまで、最も好きなレスラーがハーリー・レイスだったということは何度も書いているが、「ファンであるだけに、いろいろ悩みが深くなる」のもプロレスファンの特徴ではあった。
そもそもハーリー・レイスのファンになったのは、ほとんど「動く姿」を観たことない時期からのことで、プロレス誌に載っていた、金髪時代のちょっといなせなマフィア風の外見と、短期ではあったがNWA世界タイトルを戴冠した実力(「プロレスの実力とは何か」という思考にまで至ってはいなかったが)、そして実は、プロレス誌に掲載されていた数ページの「ハーリー・レイスの半生」を描いたドキュメント的記事による影響も大きかった。
確かそれは、「プロレスラーの光と影」というシリーズ連載だったと記憶している。(タイトルについては、「多分」というくらいの記憶だが)
今のわたしがそれを読んでどう感じるかは分からない。
しかし当時は実に陰影に富んだ魅力的なドキュメント記事だと感じた。
もちろん「ドキュメント」と言っても、なにせ「プロレスはボクシングと同様のプロ格闘技」という前提で書かれているのだから、かなり創作の要素が大きいだろう。
ひょっとしたら、ほとんど創作だったのかもしれない。
しかしわたしはその記事に影響を受けて作文さえ書き、国語教師に褒められたのだ。

1月は無料で『FightingTVサムライ』が視聴できたのでWWEの様子も少し眺めたが、しっかりプロデュ―スされてキャラクター化したレスラーたちがドタバタを繰り返す、「消費!消費!消費!」の世界にしか見えないのである。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、木々の名」篇。2018年1月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、木々の名」篇。

「木々の名」篇。

数えてみよう
木々の名を
あの森の中に在る
木々の名を

・・・・・・

僕は心でいつも叫ぶ、
ぼくの素敵なネコの名を!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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