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●末尾ルコ かつて語った、小津安二郎作品、そして「彼岸花」の障子、襖、庭・・・。


で、小津安二郎。
日本人すべてが鑑賞すべき小津作品群。
NHK BSでもしょっちゅう放送しています。
子どもが観ても「取り敢えず」理解できる。
だからご家族で鑑賞し、語り合うもよし。
しかし「取り敢えず」理解できても、普通の子供には1%も理解できないのが小津作品の凄いところ。
実は大人でも一度の鑑賞では理解できるものではない。
観れば観るほど奥行きへと嵌っていくのが小津作品に限らず「傑作」と呼ばれる映画、あるいは芸術の凄いところ。

小津安二郎監督の「彼岸花」。
その障子、襖、窓、庭・・・。
日本の家が奥から外側へ、あるいは中間地帯から奥の方へ、どんどん深まっていくのを
あなたは目撃する。

あなたは目撃しなければならない。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年8月20日 [愛の景色]

嬉しくて張り裂けそうだった
あなたに大切な
ぼくにとっては
問い掛けもできたし

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌317日目~「鑑賞眼」のお話、浅野忠信や松田龍平を「大根」と言う人たち、あるいは一流料理人の味を理解できない人たち。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

8月13日(金)手術後507目
退院後317日目

『泣き虫しょったんの奇跡』的なタイトルをわたしが好きではないのは、お分かりでしょうけれど、昨今の日本の「号泣お涙頂戴映画」(映画だけではないけれど)が嫌いだからです。
映画のクライマックスで主人公、あるいは主要登場人物が号泣したり絶叫したり、そういうのは嫌なんです。
特にある時期から日本のメジャー系の多くは「泣けますよ」を売り物にしていますから。

少し演技論的なお話になりますが、浅野忠信とか松田龍平とか、現在の日本で「映画俳優」と呼ぶべき人たち、日本映画界に多大な貢献をし続けている素晴らしい俳優たちがいますね。
そんな俳優たちがたまにテレビドラマへ出る。
なぜ彼らがテレビドラマへ出演するかというのは一つ大きな理由として、(テレビ視聴者に少しでも映画館へ来てもらいたい)という気持ちがあるに違いないのですが、ところが映画で鍛えた彼らの見事な演技を見た視聴者の中には、「大根じゃん」とかとんでもないことを言う(ネットへ書き込む)人たちがいるんです。
こういうのって、ある意味怖いですね。
浅野忠信や松田龍平の映画を観たこともない、そもそも映画というものをほとんど見た経験のない人たちが、つまり彼らはテレビドラマの俳優たちを日常的に観過ぎて、その大袈裟な芝居を「当然」でしかも「最上のもの」だと、おそらく子どもの頃から信じているのでしょうね。
テレビドラマのすべてが低レベルだと言っているわけではありません。
とてもおもしろいテレビドラマも存在する。
それは知っています。
わたしもテレビドラマを愉しく観ることもある。
けれど多くの日本のテレビドラマは「より多くの視聴者の支持を得ようと」、非常に説明的で大袈裟な表現をしています。
演出もストーリーも、そして俳優の演技も、です。
そのようなものを「標準」として考えたら、そりゃあ浅野忠信や松田龍平の、抑えた高度な感情表現は「地味」で、時に「大根」のように感じるでしょう。
しかしそれはそう感じる人たちの「鑑賞眼」がまだ未熟ということなのです。
ところが昨今たいがいの人たちは、「自分が至ってない」とは考えないのですね。

このような状況の怖さというもの、映画以外を例に取ってみましょう。
カップラーメンやファーストフード、確かに美味しいです。
わたしも大好き。
しかしそれらは一流のプロの料理人が作る食べ物とはやはりまったく違うでしょう。
あるいはお子様ランチ、美味しいですね。
でもそれらは一流のプロの料理人が大人のために作る料理とは違いますね。
これらはやや極端な譬えであるかもしれませんが、しかし見当はずれな譬えでもありません。
要するに、一流の人たちが精魂込めて作る一流の作品、それは映画でも料理でも写真でも小説でも、その他のものでも同じなのですが、そういうものをしっかりと見極め、愉しめることができる人の多い国になればいいなと思っているのです。

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