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●末尾ルコ かつて語った「ブラッド・ワーク」クリント・イーストウッド監督 [「言葉」による革命]

「ブラッド・ワーク」クリント・イーストウッド監督

イーストウッド作品の中に「コンビもの」とでも呼びたくなるものがあるが、当作品はその変奏とでも言おうか。何はともあれ手堅く楽しめる。印象的なシーンの一つ、女刑事が拳銃を打つところ。乾いた音が響く。カッコいい。

タグ:アート 映画
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2021年8月17日 [愛の景色]


薄暗い店の中
あなたの色白の肌は
発光しているように見える

はじめは硬かったあなたが
すっかりリラックスした
笑顔を浮かべるのは
とても嬉しい

それだけのことだけど
それだけでもいいじゃないか
それだけでなくてもいいが
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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)の日々、永遠性を帯びた「恋愛の姿」の描かれた『椿姫』とは。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「恋多きヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。



それにしてもこれだけ映画化、舞台化、オペラ化、バレエ化などされた、され続ける小説はそうそうはありません。
はい、『椿姫』ですね。
この際、そのストーリーを振り返っておきましょう。
恋愛の物語です。
愛の物語です。
恋愛と愛は重なっている部分もありますが、重ならない部分もあります。
『椿姫』はどちらの要素も含まれるお話だと言えます。

舞台は19世のパリ。
この設定もいつまでも世界中で愛される一要素でしょう。
自虐ではないですが、19世紀の高知のお話であれば、これほどまでに浸透はしなかったでしょう。

愛し合う二人は高級娼婦のマルグリットと青年アルマン。
アルマンの方はいいところのぼっちゃんです。

華やかだけれど内面より表面を取り繕う必要があり、残酷な人間関係をも余儀なくされる裏社交界に生きるマルグリットはアルマンのあまりに率直な恋情表現に戸惑いながらも惹かれていく。
やがて二人は真剣に愛し合うようになり、アルマンの別荘で生活を始める。

ここで終わってハッピーエンド、なんて小説
があったらお目にかかりたいものだが、いやあるかもしれないけれど人気小説ではないだろう。
大衆は昔から「悲恋」を求めている。

『椿姫』における「恋する二人の大障害」はアルマンの父親だった。
「いいところのぼっちゃん」アルマンの父親は「いいところの人間」であり、息子が高級娼婦と付き合うなどあってはならないことであり、マルグリットに「交際を止める」よう求める。
アルマンの将来をも慮ったマルグリットは身を引くことを決意、新たなパトロンの下で高級娼婦生活を再開させる。

もちろん父親がそのような行動を取った事実を知らないアルマンは、愛する人に裏切られたと思い、マルグリットに対して侮辱的仕打ちをしてしまう。
このあたり、淀川長治さんの言う「怖いですね」のシーンではないか。
淀川さんの「怖い」は最高の誉め言葉の一つだった。

もともと病身のマルグリットの体調は加速度的に悪くなる。
せめて自分が死んだ後に愛する人に真実を知ってほしいとことの顛末をしたためるマルグリット。
彼女の危篤を知ってアルマンが駆けつけたときには既に埋葬も終わっていた。

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