SSブログ

「言葉」による革命・「美」による革命  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 末尾ルコB 不屈となれ!2016年2月20日 [「言葉」による革命]

▲末尾ルコB

不屈となれ。手遅れとなる前に、不屈となれ!

手遅れになれば、もう不屈となれないぞ!

だから今、不屈となれ。

手遅れとなるずっと前に!

不屈となるのだ!

・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

▲「新たなる教育機関」です。

毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

nice!(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「メディア批評」~桑子真帆「ニュースチェック11」ツイッターの使い方とは?2017年2月20日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「メディア批評」~桑子真帆「ニュースチェック11」ツイッターの使い方とは?

・NHK「ニュースチェック11」についてもう少し。
「ニュースチェック11」の前番組の頃から「ツイッターとの連動」を打ち出していて、「ニュースチェック11」も引き続き画面の下にツイッター(らしき)文字が出てくるようになっています。
これは一般視聴者にとっては邪魔なだけなのですが、どうでしょうか。
前番組から続いて同様の方式を採っているということは、このような企画が好きな人も多くいると考えるべきか。
しかし画面に表示されるのは、それが本当に視聴者からのツイッターだと仮定しても、番組に不都合な内容が紹介されるはずもなく、毒にも薬にもならぬ無難なものばかり。
読んで多少なりとも(ハッ!)とするものであればまだしも、はっきり言わなくとも無益なものばかりです。
しかも生放送中に桑子真帆キャスターがけっこう頻繁にタブレットをつついて、「こんなツイッートが来ています」とか言って既に画面下へ表示済みの内容をわざわざ読んで紹介する。
ネットの時代でテレビ番組も変化を求められているのは分かるけれど、放送中にキャスターがタブレットをゆるゆる操作する様子を映すのは(何をしとるんだ)といつも思います。
タブレットを操作して重要な情報が出てくるのならまだしも、「既に画面下に表示されたツイート」ですからね。
まあ桑子真帆のファンにはその時間も捨てがたいのかもしれませんが。

・ちなみにわたしはSNSがあまり好きではない。
フェイスブックもツイッターもアカウントは取っているけれど、ほとんど使ってない。
SNSの集合性的なものが既にかなりの力を持っているのは分かるけれど、「その中の一人」になりたい気がしないのです。
ツイッターなどの多くに見られる馴れ合いのやり取りも気色悪いし。
多くの人が既に惰性でSNSを使っていると思うけれど、下手をすれば人生のほとんどを無駄な時間にしかねないですよ。
よ~く考えて使わないとね。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年2月20日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

なぜならば
君のすべてが愛しいからです
それは虚空に浮遊する
どんな兆しを見ても
とてもとても
明確なのです

nice!(15)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩D「猫、水薔薇」篇。2015年2月20日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、水薔薇」篇。

「猫、水薔薇」

「水薔薇」という言葉を創り使ったのは
どうやらアルチュール・ランボーだ。
「イリュミナスィオン」の中で

水薔薇
水薔薇
水薔薇

何度繰り返しても美しい
日本語に直してさえも

水薔薇
水薔薇
水薔薇

水薔薇
水薔薇
水薔薇

・・・・・・

ぼくの素敵なネコ、
君が最も美しい詩そのものさ!

nice!(24)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

末尾ルコ詩D「猫、ページ」篇。末尾ルコ「美の観点」講座~野々村竜太郎被告の醜悪「そり上げ頭」と美しき「キャロル」の「出会いシーン」が世界には存在する。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、ページ」篇。

「猫、ページ」

ページを開く
ページを開く
ページを開く

あなたは何のページを
開く?

下らん奴など
ぶっ飛ばせ!

・・・・・・

ぼくの素敵なネコの
魅惑のページは
無限にあるんだね!!


(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「美の観点」講座~野々村竜太郎被告の醜悪「そり上げ頭」と美しき「キャロル」の「出会いシーン」が世界には存在する。

・あなたがお住いの地域の地方議会。
監視してますか?
有権者が監視していないと、かなりな出鱈目、醜悪行為が罷り通っていると考えていい。

詐欺と虚偽有印公文書作成・同行使の罪で在宅起訴された元兵庫県議の野々村竜太郎被告。
初公判にそり上げた頭で登場したといいますが、もうこの時点で人間的に「失格」です。
もちろん号泣会見含め、とうの昔に失格していますが、「さらに失格」!
政治家がワザとらしく見せる「土下座」や「丸坊主」など、醜悪なパフォーマンスとしか言いようがない。

※「美の観点」を磨きましょう!

まあずっと以前にお話した、「片山さつきの土下座」については、あの人の中でまた別の意味ができているような気がしたものですが。

頭をそり上げるという無益なパフォーマンスで登場した野々村被告ですが、被告人質問では90回ほど「記憶がございません」「覚えておりません」を繰り返したと報道されています。
お話になりませんね。

これで思い出したのが民主党の菅直人。
あの人も丸坊主になってお遍路をするというパフォーマンスをやっていました。
白々しいなんてもんじゃない。

・お話変わって、トッド・ヘインズ監督の映画「キャロル」。

「出会いのシーン」がいいですね。
キャロルとテレーズ。
二人は高級百貨店で出会う。
なぜならばテレーズはそこで働いていたから。
クリスマスシーズン。
テレーズはサンタの帽子を被っている。

ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラ。
原作はパトリシア・ハイスミス。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「熱き格闘技論」~え?現役復帰??という話はさて置いて、やはりエメリヤーエンコ・ヒョードルが史上最高MMAファイターである。Fedor is the Best MMA fighter ever!2016年2月20日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「熱き格闘技論」~え?現役復帰??という話はさて置いて、やはりエメリヤーエンコ・ヒョードルが史上最高MMAファイターである。Fedor is the Best MMA fighter ever!

あちゃ~、と言いますか、
うわあ~~、と言いますか、
そうです、よもやのエメリヤーエンコ・ヒョードル復帰宣言。
ヒョードルには負けない内に「勝ち逃げ引退」してほしいくらいだったのに、そしてそれが許されるだけの実績と感動を与え続けてくれた唯一のMMAファイターだっただけに、引退間際の明らかに準備不足の3連敗は残念極まりなかった、というのに何と「復帰」だというではないですか!
ヒョードルがずっとしっかりした訓練を積み、ずっと現役を継続していれば、いまだに「最強」だった可能性もあると思うのですが、「実質的MMA一敗目」を喫したファブリシオ・ヴェウドム戦は明らかに相手のサブミッションを甘く見ていた印象だし、3敗目のダン・ヘンダーソン戦など「やる気あったのか?」と言いたくなるようなお粗末な試合内容でした。
それが今更「復帰」?

という展開はさて置いて、それでも全盛期のヒョードルが「MMA史上最高」のファイターだったのは間違いありません。
しかし「ヒョードルは大したことなかった」と思いたがる人たちが特に米国、中には日本にもいるんですね。
こうした人たちは「物事を自分の好みで解釈する」、あるいは「都合の悪いことは見えない」、といったタイプだと思います。
これってもちろん格闘技に対してだけでなくどんな分野にいて、まあ「困った人たち」ですね。
特にヒョードルに関して、「年取ったダン・ヘンダーソンに負けた程度だ!」とか、米国の一部「困ったMMAファン」は言うんですが、あの時のヒョードルを持って強さを判定するなんて、2015年のイチローを見て、「イチローなんて3割も打てないじゃないか!」と言ってるような馬鹿馬鹿しさです。

nice!(15)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート