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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年8月3日 [愛の景色]

被衣 風狂子 を
愛のために
確認す

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「日本人なら必読!谷崎潤一郎10の作品」。2017年8月3日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「日本人なら必読!谷崎潤一郎10の作品」。

末尾ルコ「文学で知性と感性を鍛えるレッスン」

タトウに関する話題が続いているが、日本文学でずばり

『刺青』というタイトルの小説と言えば、

谷崎潤一郎『刺青』!

日本人なら必ず読もう、谷崎潤一郎!

というわけで、谷崎潤一郎、次の10作品は読まねばならない。
そう「日本人なら必読!谷崎潤一郎10の作品」だ。

『痴人の愛』
『卍(まんじ)』
『蓼喰ふ虫』
『春琴抄』
『細雪』
『鍵』
『瘋癲老人日記』
『刺青』
『秘密』
『陰翳礼讃』

あなたは既に、いくつ読んでます?
うふっ♪

谷崎潤一郎の文体は比較的平易で、誰にでも理解できるところが魅力であり、つまりこれは「いかにも難しそうに書く」よりも高等な技術を要する、と常に言えるわけではないけれど、極めて高等な文章技術であることは言うまでもない。
ところで、「小難しい文章」を得意にしている作家や学者さんたちにぜひ試みていただきたいのが、「その内容を中学生に理解できるように欠けるか」である。
本当に文章技術と書いている内容に理解があるのなら、「中学生に理解できるように」書くこともできるはずだが、多分多くの「小難しい」書き手はできないだろう。

というお話はさて置いて、幸いなことに谷崎潤一郎作品、若尾文子主演、増村保造監督で、『刺青』と『卍』が映画化されている。
そう、谷崎作品の主演は、「若尾文子クラス」でなければ本来務まらないのである。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●キアヌ・リーブスの復活と2000年代的でない『ジョン・ウィック』との関係。その3 [「言葉」による革命]

●キアヌ・リーブスの復活と2000年代的でない『ジョン・ウィック』との関係。その3

末尾ルコ「映画の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

要するに、1970年代までのアクション映画は、その中で主人公の人間性や生活を、それが多くの場合は皮相的でパターン化されたものであっても、まがりなりにもどうにか入れようとしていたし、あくまで「ストーリーの中の見せ場」としてアクションシーンが存在していたわけである。
それが1980年代、シルベスター・スタローンの『ランボー』シリーズ、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンド―』などにより、70年代までのアクション映画の方法論は極めて影の薄い状況に追いやられてしまった。
いわゆる、「ノンストップ・バトル・アクション映画」の台頭だ。

で、『ジョン・ウィック2』のクオリティについて先に書いておくと、

「基調は70年代アクションであり、そこへ80年代バトル・アクションの要素をいくらか取り入れている」というところなのである。

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●「男も泣いていい」という風潮に反撥か?灼熱の夏、自らの「命懸けの美意識」についてあらためて考える。 [「言葉」による革命]

●「男も泣いていい」という風潮に反撥か?灼熱の夏、自らの「命懸けの美意識」についてあらためて考える。

末尾ルコ「まさしく命懸けの美意識に関する話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

そしてあまりの熱気に、アスファルトの道路を歩いていても、そこがいつもの道路とはまったく異なる様相を呈しているのである。
四方八方から白色の灼熱に攻撃され、目の前のローソンに辿り着くまでどうやら逃げ場はない。
瞬間的に視界は猛烈な光源を含んだ白色に包まれたり、何もかもがぐにゃりと歪んでいるようにも見える。
(なぜこんな目に遭わねばならないのだ・・・)
ローソンはまだ遠く、いや実際はもう10メートル以内になっているはずなのだが、はるか向こうに見える。
(う、くくく・・・)
どうしたことか!
わたしの目頭に涙がこみあげてきているではないか、激しくないにせよ。
(何だ?どうした、俺?こんな暑さくらいで涙を出すと言うのか?泣くな、俺!頑張れ、俺れれれ!!!)
そう。
もちろん「男だって、泣いてもいい」。
しかし男にせよ女にせよ、大人はできるだけ泣かない方がいい。
「男だって、泣いていい」というのはそもそも当たり前の話であって、しかし日本の場合はどのようなことでも「社会的に承認された」と見做されるや否や、堰を切ったように大多数がそちらへ流れて行ってしまう不気味な嫌ったらしさがある。
さすがに今のところ、公共の場でビービー泣いている男を見かけたことはないが、日本映画の予告編には「泣き男」がしょっちゅう現れる。
しかし原則としては次のようであらねばならないとわたしは考えている。

男も女も「弱くてもいい」が、
「強い方がもっといい」し、
「弱い部分は強くしていく努力をする」べきであり、当然ながら、「強さ」には「豊かな人間性」が伴うべきである、と。

「弱くていい」ということになったら、(なんだ、そうなんだ)とみんなそっちの方向へ進んだり、一事が万事そうなってしまうのが気色悪いのですな。

ちなみにわたしももちろん「弱い部分」がとても多い人間だけれど、常に「強くなるべく努力」をしているし、基本的に「弱さを人に見せる」ことはしない。
そしてどんな場であっても絶対に羽目を外さない。
それらはわたしが人生を送っていく上で、絶対に外すことのできない、「命懸けの美意識」なのである。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、紳士」篇。2017年8月3日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、紳士」篇。

「猫、紳士」

高知市薊野にある


阿部和重の
『ニッポニアニッポン』は
蕩児よ
蕩児よ
蕩児よ
阿部和重の
『ニッポニアニッポン』は

高知市薊野にある


・・・・・・・

そう、ぼくの素敵なネコのためなら、
ぼくは最高の紳士であるべきなのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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