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老いたマルグリット・デュラスとヤン・アンドレアの出逢い  [生と死のためのアート]

マルグリット・デュラスの文体は多く抽象的でかつ明晰、といった特徴も忘れるほど厳しい美しさに満ちている。その美しさに陶然として、時に物語を忘れてしまうことさえあるほどだ。
しかしデュラス自身が言うように、幼いころから格別にリリカルな美しさを誇っていた彼女の美貌は若くして失われる。
外見上美しきマルグリット・デュラスは、彼女の人生のほんの4分の1程度の期間だったろうか。
ヤン・アンドレアと出会った頃のマルグリット・デュラスは、おそらく彼女の偉大さを知らぬ人間が見たら、一人の老いた婦人に過ぎなかっただろう。
ヤン。アンドレアはデュラスの姿に何を見たのだろう。

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愛をどこまでも掘り下げ、どこまでも高い場所へと導く。その言葉 2011年8月10日 [愛の景色]

つまり。
「現実」の中に詩を見つけたいのなら、恋することだ。
恋しているから君は詩的なのか?
もともと詩的な君に恋をしたのか?

君を愛しているから、ぼくは神話の中に生きている気分を味わっているのか?

タグ:アート 言葉
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「この世界の片隅に」も悪くなかった、北川景子の女王的佇まい [吉高由里子]

北川景子主演スペシャルドラマ「この世界の片隅に」は、テレビドラマとしては手堅く楽しめる内容。縁側に登場人物が並んで座るシーンなど、「映画的」映像作りもところどころにあり、深くはないけれど気持ち悪くもないドラマとして比較的楽しめた。
主演の北川景子の相手役を小出恵介が務めたのも成功だ。今や不動のポジションを築き上げた北川景子の相手役は力のある俳優でなければ不可能だ。派手ではないけれど、実績では北川景子のよりも上である小出恵介との絡みは十分楽しめるものだった。
少し前まで北川景子はバラエティ。トーク番組などへ出演した際、どちらかと言えば番組のノリに気を遣って合わせてしまう傾向があったけれど、先だっての「しゃべくり007」などを観ると、〈周囲が北川景子に気を遣う〉「番組が北川景子に合わせる」という感じが顕著だった。
つまり、北川景子は「女王然」として来たわけだ。

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「おひさま」高良健吾が「それでも、生きてゆく」安藤サクラをこっぴどい目に合わせる映画。その7(笑) [吉高由里子]

あ、「おひさま」の高良健吾が「それでも、生きてゆく」の安藤サクラをこっぴどい目に合わせる映画っていうの、分かりますよね。
でも多分分からない人もいるでしょう。
なにせ毎日「高良健吾」というキーワードで新たに訪問してくださる人が少なくない。
「高良健吾なんて名前も知らなかった」という人が友人から「今NHKの朝ドラに出ている俳優、素敵よ」なんて紹介されて観始める、という現象も日本全国少なくないと見る。
だから、「おひさま」の高良健吾が「それでも、生きてゆく」の安藤サクラをこっぴどい目に合わせる映画、というのは以前からの高良健吾ファンやこのブログをずっと読んでくださっている人であればすぐに分かると思うけど、うん、敢えてここでも書きましょう。

「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」ですよ。

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最高の「男」、ジェフ・ブリッジスの「恋のゆくえ ファブラス・ベイカー・ボーイズ」「サンダーボルト」を観るべし!  [生と死のためのアート]

だから今ジェフ・ブリッジスだったら!
でもねへ、昔からジェフ・ブリッジスだったんだよね。若い頃からきっちり選んでいい作品へ出演している。いろいろおもしろい映画があるけれど、いつでもすぐに頭に浮かぶのが「サンダーボルト」と「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」だ。
クリント・イーストウッドと見事なコンビネーションを見せる「サンダーボルト」。
クリント・イーストウッドとジェフ・ブリッジスだ。
これはもう、二人の「男」に酔うしかない。
「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」でミシェル・ファイファーと展開した「恋」ほど「都会の大人」の色気を見せつけた映画は他にあるだろうか。

「サンダーボルト」と「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」・・。
観なければ、ダメです!

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ネオアンガージュマン 東京大学教授(←あくまで例です 笑)などが語る「日本人」とは誰だ?  [ネオアンガージュマン]

例えば東京大学教授とか、別に他の大学でもいいんだけれど、まあ国内で「一流」と目されている大学の教授、あるいはそうした大学出身の評論家などが「日本は」「日本人は」といった話をしたり顔でしているのを見てよく思うのだけれど、「この人たち本当に日本人を知っているだろうか?」
彼らの交際範囲というのは基本的に「彼らの社会」、つまり東大を目指すような連中が中心。東大を卒業しても社会へ出ればいろんな人間と出会うだろうけど(職種にもよるが)、「教授」とか「評論家」とかいうのはどうなんだろう。もちろん多様な層の日本人に通じているな、と感じさせる人たちも少なくない。けれど多くは「文献やデータから鑑みた日本人」、のように感じる。現実の社会で生きている日本人とはかけ離れているような気がするのだ。


愛 勇気 行動
想像と創造 闘い

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