SSブログ

[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 2016年9月1日 [「言葉」による革命]

●ベルギーとロックは必ずしも親和的ではないけれど、だからと言って、ベルギーの新たな国際的イメージとしての「テロリストの巣窟」のみが心中に浮かぶとしたら寂しい話ではないか。確かに『孤独の暗殺者 スナイパー』という、個人的にはリュディヴィーヌ・サニエ目当てで鑑賞した映画の、田口トモロヲ的面立ちの主人公が射撃の達人ながら生活に窮し、組織に付け込まれて暗殺者となるが、この男はフランス在住男だが、依頼される暗殺実行場所はベルギーだ。

・・・・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

▲「新たなる教育機関」です。

毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

nice!(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

「集団行動」や「空気を読むこと」にも段階がある。2016年9月1日 [「言葉」による革命]

「集団行動」や「空気を読むこと」にも段階がある。2015年12月5日

●〈「言葉」による革命〉・・・「集団行動」や「空気を読むこと」にも段階がある。

さて、「集団行動」には、
「よき集団行動」と
「愚劣な集団行動」がある。

「空気を読むこと」には、

「意義ある空気の読み方」と
「腐った空気の読み方」がある。

お分かりでしょうか?

nice!(15)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

極限の愛、日常の愛、その言葉 2016年9月1日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

なぜならば
君の素敵さ
素晴らしさをこの世界で
飛び抜けて一番
知っているのはぼくだから
君のお仕事中の
スピーディーな動きは
君の知性や把握力
責任感などから
創造されていると
もちろんぼくが
一番知っている

nice!(15)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

末尾ルコ詩D「猫、信念」篇。末尾ルコ「70年代最高の美人女優はジャクリーン・ビセットだったのか?」というテーマと『料理長殿、ご用心』について。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、信念」篇。

「猫、信念」

高知市薊野にある


人間は信念を持たねばならない
たとえ時に揺らぐことがあっても
いや、信念は揺らぐべきなのだろう
「揺るがぬ信念」の多くが歴史的に見れば
間違いであったから
そのくらいのことも
「揺るがぬ信念」のあの人たちは
気付いてないじゃないか

けれど「絶対に揺るがぬ信念」も存在する。
「ぼくの素敵なネコが最高に素敵だ!」という信念だ。

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「70年代最高の美人女優はジャクリーン・ビセットだったのか?」というテーマと『料理長殿、ご用心』について。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

「70年代最高の美人女優はジャクリーン・ビセットだったのか?」という問い掛けがあるとしたら、結論的には「それは違う」となる。
ハリウッド映画はアメリカン・ニューシネマの影響もあり、確かに(うわあ、綺麗だ!)とスクリーンを見惚れるような女優はあまりいなかった。
そんな中でジャクリーン・ビセットは、その抜群のプロポーションも含め、容姿でかなり目立っていたことは確かだ。

ちなみにアメリカン・ニューシネマもずいぶん過去になった現在、ハリウッド女優は美しい人が大勢います。
美しいだけでなく、メソッド演技やニューシネマの洗礼なども経た女優たちばかりだから、様々な演技スタイルを身に付けている。

・現在、ハリウッド女優は最盛期の一つに来ています。観なきゃ、もったいない!

ジャクリーン・ビセットの話に戻るけれど、70年代と言えば、フランスではカトリーヌ・ドヌーヴが君臨し、人間離れした美貌と妖しさで国際的名声を獲得していた。
カトリーヌ・ドヌーヴとジャクリーン・ビセットを、「個人的好み」とかでなく、映画がい術的に「どちらが美しいか」と問われれば、圧倒的にカトリーヌ・ドヌーヴとなる。
「アップに耐える顔」という観点から見ても、ジャクリーン・ビセットは案外スクリーンの中でカチッと画にならない。

などとジャクリーン・ビセットについて語っているのは別にノスタルジーとかでなく、映画『料理長殿、ご用心』を久々に鑑賞したからだ。
2016年にイマジカBSでも放送したのが、1978年『料理長殿、ご用心』は、『料理長殿、ご用心』は、監督がテッド・コッチェフ、脚本はピーター・ストーン。
出演は、ジョージ・シーガル、ジャクリーン・ビセット、ロバート・モーリー、そしてフランスの大俳優、フィリップ・ノワレとジャン・ロシュフォールも出演していて貴重。
さらに音楽が、ヘンリー・マンシーニ。
ヘンリー・マンシーにとか、かつては(う、甘ったるい)と感じていたけれど、ヘンリー・マンシーニ的音楽を耳にしない昨今、逆に新鮮に聞こえたるするのです。

この『料理長殿、ご用心』、なかなか楽しい作品だけど、演出や演技スタイルなど、今日びは見かけないもので、またそんなお話をする機会もあらまほしけれ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

●アラン・ドロンの、市川雷蔵の、ロバート・デ・ニーロの・・・「美しさ」とは? [末尾ルコB]

末尾ルコB

アラン・ドロンの美しさ
ジェラール・フィリップの美しさ
ジャン・ルイ・トランティニャンの美しさ
あるいは、
ルドルフ・バレンチノの美しさ
はたまた
森雅之の美しさ
市川雷蔵の美しさ
松田優作、
高倉健の美しさ

もちろん、
ロバート・デ・ニーロの美しさ

この人たち、最盛期は皆「美しい」という言葉が当て嵌まるのだけれど、「美しさ」の種類はまったく違う。
よもや皆を「ヤバい」なんて言葉で一括りにするなかれ!


nice!(20)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「真の教育論」~中沢良平氏のブログが興味深い点と、「集団行動」「空気を読むこと」と「自由」「個性」の関係。2016年9月1日 [「言葉」による革命]

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「真の教育論」~中沢良平氏のブログが興味深い点と、「集団行動」「空気を読むこと」と「自由」「個性」の関係。2016年9月1日

●末尾ルコ「真の教育論」~中沢良平氏のブログが興味深い点と、「集団行動」「空気を読むこと」と「自由」「個性」の関係。

・国家の根幹を成しているのは言うまでもなく「教育」であって、最近も様々な論者が教育について語っているわけですが、中沢良平という人がいて、この人は「脱サラして小学校教員となった」ということでブログも運営し、オピニオンサイト「アゴラ」へも投稿しと、一部で話題になっています。
中沢良平氏の小学校教育に関する意見の基調は、

小学校は学問を教える場ではなく、「集団行動」や「空気を読むこと」を身につけさせる場である。

というものだと思います。
中沢氏は小学校のこうした性質が「いい」と言っているのではなく、客観的に観察した場合に「事実としてそうである」ということだと思います。
この意見にご興味のある方は中沢良平氏のブログやオピニオンサイト「アゴラ」を見ていただくとして、この「集団行動」や「空気を読むこと」についてですね、あなたのご意見はどんなですか?
あるいは「集団行動」「空気を読むこと」と「自由」「個性」の関係。
日本では戦後教育の中で、「自由」や「個性」を当然のように扱ってきましたが、近年日本ではこの二つの言葉を見たり聞いたりするだけで拒否反応を起こす人も多いようです。
わたしはと言えば、断然「自由」「個性」支持派なのですが、実はこうした言葉に拒否反応を起こす人の気持ちも分からなくはない。
「自由」という言葉も「個性」という言葉もあまりに思考停止的に使われ過ぎてきた。
で、これからは「自由」「個性」と日本的「和」をどうつなげていくか、ここがポイントだと考えています。

nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート