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●末尾ルコ かつて語った『ゾンビーバー』 [「言葉」による革命]

映画『ゾンビーバー』が80分間弱、なぜ鑑賞者を退屈させることなく展開できるのか?
いろいろな見どころが『ゾンビーバー』にはあって、それが80分弱の時間にほどよく展開されていたからです。
まず「ビーバーがゾンビになる」というアイディアで、(うわあ、どんなバカバカしいゾンビが出てくるかな)というワクワク感があります。
そして出演者。
「おつむのユルい若者グループが酷い目に遭う」というB・C級ホラー映画の定石をしっかり踏襲し、しかも3人の主要な女優がそこそこ見栄えのする容姿である、顔もプロポーションも。
これはB・C級ホラー映画にとって重要なポイントです。
「そこそこ」というのは「平均的ハリウッド女優と比べて」であって、もちろん「平均的米国人」と比べれば、「極めてルックスがいい」部類に入ります。

タグ:アート 映画
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●末尾ルコ フラグメント「猫、サンジェルマン」篇。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ フラグメント「猫、サンジェルマン」篇。

「猫、サンジェルマン」

サンジェルマンを聴きながら
立ち昇る聖女たち

アガタ アグネスアナスタシア
セシリア ルチア フェリチタス
そしてベルベトゥア

Sadiq Khanの行く末に

サンジェルマンを聴きながら
立ち昇る聖女たち

タグ:アート
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●我が母(お母ちゃん)、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌435日目~朝から『007 慰めの報酬』を吹き替えで観ながら、人生のダンディズムに関して思考してみました。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

12月13日(土)手術後624日目 退院後434日目

朝から『007 慰めの報酬』を観るなんてけっこう気持ちいいねえ。
しかも吹き替え版。
わたしは基本、初見の映画、あるいは大切にしている映画は原語版で観ます。
吹き替えで観るのは、さほど期待してない映画、あるいはもう何度か観ている作品とかですね。
気楽に観たい時にですわ。
でもたいがい外国人俳優の実際の声を知ってるので、あまりにイメージが違うと少々憤慨してしまいます。
あと、『鬼滅の刃』映画版がやたらめったらお客さん入っていて、それはそれでいいことなのでしょうが、昨今「アニメしか観ない」という人たちも増えていて、いやホント、「アニメで造形されたキャラクターにしか興味がない、つまり生身の人間に興味がない」人たちってけっこう存在するのではないかと想像するのだけれど、どうなんですかね。

まあそれはさて置き、『慰めの報酬』の場合はジュディ・デンチの声がまるで合ってなかったです。

それにしても『007』、やはりいいですね。
ジェームズ・ボンドのダンディズムがいい。
もちろんショーン・コネリーの時代からいささかマッチョな世界観だけれど、現在はもちろんマッチョは緩和されているとはいえ、全面的に無くなるわけではない。
けれどまあ厳密にフェミニズム的に映画や文学作品を批判的に鑑賞していたらおもしろくも何ともなくなりますからね。

『007』シリーズのすべてではないけれど、多くが、そしてダニエル・クレイグがボンドになってから強く感じるのはダンディズム・・・それはクレイグ以前のボンドからはほとんど感じられなかったストィシズムとさえ言ってもOKの美意識です。
ダンディズムとか美意識とかを貫くためには強靭な意志が必要で、それを貫いておれば、いずれストィシズムに繋がります。
要するに、「何でもあり」ではなく、ダンディズムや美意識とは、

「自らに自らが規制を課し、順守する」

とも言えるでしょう。

「何でもあり」のすべてが悪いわけではないけれど、多く「何でもあり」は単なる野放図、要するに「だらしないだけ」に堕してしまいます。
わたしが特に日常生活を送る上で注意しているのが「言葉遣い」で、もちろん一人一人の個性、嗜好があるので誰しもが同じ言葉遣いをする必要はないのですが、でも話しするとすぐに分かるものです、(この人なりに言葉を選んでいるな)と(出鱈目に言葉を使っているな)という人の違いというもの。
あと、平気で醜悪な言葉を使う、気に入らない相手に投げつけてくる人も多々おりますが、そのような人たちが「論外」の人格であること、言うまでもありません。

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