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恐るべき生涯 エデイット・ピアフ。NHK「SONGS」美輪明宏・ドラマ「TAROの塔」 2 [生と死のためのアート]

エデイット・ピアフの生涯を見ていると、「魅入られた」という言葉が戦慄とともに浮かび上がる。
光と影が濃過ぎるのだ。
栄光の光はあまりに輝き、しかしその強烈な光があたかも底なしの影を生み出しているようでもある。

あまりに有名な「恋人マルセル・セルダン」とのエピソード。
生涯の恋、生涯の愛を感じていた男が飛行機事故で死んだ。
確率的に言えば、人間滅多に飛行機事故で死んだりはしない。
しかもピアフはセルダンに「飛行機で来て」と言ってしまったのだという。

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ゲバラ、カストロ、カダフィ大佐などから観察する、「カリスマ性」の問題。 [生と死のためのアート]

カリスマ性。
カリスマ美容師とかカリスマ店員とかいう「言葉の誤用」の話ではなく、歴史の中に現れた本物のカリスマの話だけれど、例えばリビア情勢に関して「カダフィ大佐のカリスマが薄れた」という解説を耳にしたが、確かにカリスマ性というのは「薄れる」場合がある。
結局それは「その人物の行動やメンタリティ」によるものだという点、非常に興味深い。
それはキューバ革命の両雄を比較すればよく分かる。
リアルタイムで体験したわけではないけれど、キューバ革命時のフィデル・カストロが発したカリスマ性は凄まじいものがあっただろう。
「世界を覆わんばかりのカリスマ性」と表現しても過言ではなかったはずだ。
ところが長期独裁政権維持に汲々とする過程で明らかにカストロのカリスマ性は薄らいで行った。
対してチェ・ゲバラ。
彼のカリスマ性は「永遠性」をさえ帯びて来た。

間違いない。
「生き方」がオーラやカリスマ性の濃淡を左右する。

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愛の思索、その言葉 2011年3月2日 [愛の景色]

君の笑顔ほど貴重なものはないのだから、君が少しでも笑顔でいられることをぼくの使命としたい。

タグ:アート 言葉
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「アンアン」(No.1747)グラビアの吉高由里子と「艶めかしさ」の稀有性。 [吉高由里子]

「アンアン」(No.1747)のグラビアの吉高由里子は艶めかしい。
吉高由里子の年齢で「艶めかしい」などというのは稀なことで、と言うよりも、本来艶めかしくあるべき30代、40代の女優を探しても簡単には名前が浮かばない、それ以上に、日本社会から「艶めかしい」という言葉が消失しそうな無味乾燥さが充満している、ような気がする。
映画が快楽と恐怖を併せ持つ芸術であるためにエロスとタナトスが必要であるとするなら、「艶めかしさ」という属性は大きな武器になる。

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「愛」に関する問題。 [生と死のためのアート]

考えてみれば不思議なことだ。
これだけ重大な問題が、ほとんど教育の現場、あるいは社会に於いて語られることがない。
だからわたしは「愛」について思考し、感じ、語ろう。

タグ:アート 言葉
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蕎麦を食べた朝、ぼくは何を書こうとしていたのか。 [生と死のためのアート]

ぼくは今朝、蕎麦を食べただろう。今朝と言っても、きっとこの文章が人の目に触れた日の朝ではない。それよりも少しだけ以前の朝。
ぼくは朝、蕎麦を食べた。
ところがぼくは蕎麦を食べた朝にこの文章を書き始めたけれど、途中で中断したんだ。忙しい朝だったもので。
蕎麦を食べた朝に書いたのは「以前の話。」という部分まで。
その後は翌日の朝に書いている。
そうすると前日のことを明確に覚えていないのだな。
蕎麦を食べながら頭に浮かんで来たことを書こうと思っていたのだけれど、一体何が頭に浮かんでいたのだろう、特定できないんだ。
蕎麦を食べた朝にぼくが書こうと思っていたことはどこへ行ったのだろう。
もちろん愛する人のことはいつでも心にあるのだけれど。

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