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ネオアンガージュマン 東日本大震災の報道と日本人の心理 [ネオアンガージュマン]

東日本大震災の報道と日本人の心理に関して少し触れておきたい。
この未曾有の災害報道に対して、「早くバラエティを観たい」などというアホな意見は論外としても、「見ているとつらくなるのでもっと明るい話題も」と感じてらっしゃる方も少なくないだろう。
しかし。
これは常々わたしが感じていることだが、近年日本のニュース報道は「大甘」、ときに「白痴的」に過ぎていはしないか。
そして視聴者はそうした報道に慣らされ過ぎてはいないか。
先だっても書いたけれど、中近東諸国で歴史的動乱が起こりつつある時期に「パンダ」のニュースを延々とやったり、そもそも世界には常に大きな悲劇に見舞われている国、人々がいるのだけれど、日本の報道で大きく取り上げられることは滅多にない。
なぜか?
話は簡単、テレビ界の言葉で言えば、暗いニュースは「数字が取れない」からである・
しかしそうして「現実」から目を逸らし続けてはいけない。
しかも今は、わたしたちの同胞が大きな困難に見舞われている時なのだ。
「今の現実」を見ずして、いつ見るのか・・。
これがわたしの率直な意見である。

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愛の思索、その言葉 2011年3月20日 [愛の景色]

君に毎日24時間あり、ぼくにも毎日24時間ある。
これはものすごく不思議なことじゃないか?


タグ:アート 言葉
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ネオアンガージュマン 東日本大震災における「自粛」問題に関して。 [ネオアンガージュマン]

大きな災害や事故によって多数の人命が失われたりしたときに「自粛」すべきか否か、より具体的に言えば、誰がどの程度の「自粛」をすべきか、などという問題が常に浮上する。
この問題に細かく触れていたら非常に長くなるので、ここでは今回の東日本大震災に関してのみ、(今のところの)私見を書いてみよう。

わたしはもともと行き過ぎた「自粛」には反対だが、2011年の日本を襲った東日本大震災は規模があまりに大き過ぎる。
そしてここを忘れてはならないのだが、まだ何の「区切り」も着いていない未曾有の災害である。
津波、地震による被害、さらに原発問題と、まさしく「現在進行形」の大災害に日本人は見舞われているのだ。
このような状況の中、「社会的」には「節電」を含めて一定の自粛をするのが当然だろう。
多くの被災者にとって、「気分転換して気持ちを癒す」状態にはまだ遠いのではないか。
考えてみてほしい、身内を「失ったばかり」の人に、「さあ、気分を変えなきゃあ!カラオケへでも行こう!」などと言えるだろうか。
まだ時間が必要だと思う。
何しろ死者・行方不明者の全貌さえ分からず、「チェルノブイリに次ぐ」と各国から評される原発事故もまだ収束していないのだ。

(しかし社会的影響力の大きいテレビなどと、個人で運営するブログなどはまったく異なっていると思います。その点についても機会があれば書きます)

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綾瀬はるか「仁 JIN」続編、2011年4月17日スタート予定 [生と死のためのアート]

「仁 JIN」というドラマは非常に人気の高い、一般の人たちの関心も高い作品だったようで、などと妙に他人事のように書いているのは「仁 JIN」をわたしはさほど気に入ってないからに他ならない。
気に入ってないからと言って、嫌いなドラマというわけではなく、綾瀬はるかのファンでもあるのでそれはそれでいいのだけれど、要するにドラマ全体が優等生過ぎて展開などにあまり興味が持てないのだ。
とは言え、2011年4月17日開始予定の
「仁 JIN」続編も観てみようとは思っている。
キャストを見ると今のところ前編と変わった人物は出ていないが、ゲスト、あるいは放送が近付くと新たな俳優の発表があるのかもしれない。

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●ルコ美醜悪学 「内面」を鍛錬する人生  [ルコ美醜悪学]

「内面」。

「結局人間、外面だよ」
「結局、金だよ」
などと言うしたり顔に騙されてはいけない。

「内面」。
「結局、つまるところ、人間は内面」なのだ。

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ネオアンガージュマン 東日本大震災。「お金も時間もない」と無力感にさいなまれている人ができること。1 [ネオアンガージュマン]

東日本大震災に関し。
被災地以外で暮らしている場合、無力感に苛まれている人たちも多いだろう。
「もっと被災地の方たちのために何かしたい。しかし時間的、経済的、空間的制約の中で何もできない・・」
ほとんどの人がそんなジレンマを持っているだろう。
さらに言えば、「金持ち」であれば簡単にかなりの額の寄付ができる。
「金持ち」であれば、彼らがよい人間であろうが、悪い人間であろうが、簡単に「有効な」額の寄付ができる。
それはまあ、確かに事実だ。
では「もっと被災地の方たちのために何かしたい。しかし時間的、経済的、空間的制約の中で何もできない・・」という人たちは何もできないのだろうか。
そんなことはない。
1000円の寄付もままならないという人でも、忙しくて時間のない人でも、被災者の方たちのために行動することができる。
「東日本大震災の話をする」ことで。

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