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●末尾ルコ かつて語った「メゾン・ド・ヒミコ」犬童一心監督 [「言葉」による革命]

「メゾン・ド・ヒミコ」犬童一心監督

映像、脚本ともにとても充実した内容。細野晴臣の音楽もいい。ヒミコ役の舞踏家田中泯の存在感がまた抜群だ。どこか晩年のルドルフ・ヌレエフに似ている。柴咲コウの芝居のポテンシャルはどうなにかと感じるが。


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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)の日々~「お涙頂戴」か否かという峻別ポイント。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。



柄本明がですね、「『リオ・グランデの砦』の場面場面に泣いた」的な話をしていた。
でも一般的には泣くようなシーンじゃないんです。
映画や小説で「一般的に泣く」シーンって、「とても哀しいことが起こる」「主人公が苦難を乗り越える」などですよね。
まあそれは当然なんだし、もちろん問題はないのですが、このパターンが過度に商業化したのが「お涙頂戴」だと、まあこれは「お涙頂戴」の説明の一つと捉えてほしいですが、つまり作る側に、

(泣ける映画は客が来るぞ、金になるぞ、だから絶対にラストで泣ける展開にしなきゃだめだぞ)と、

実に鑑賞者を侮った感覚で作られる作品が濫発されることに繋がるんです。

「必然」という言葉、かつて女優がヌードになる場合によく使われましたね。
「裸になる必然のある作品」とか。
その使い方の良し悪しはさて置き、物語を誠実に紡ぐ結果としてラストで「泣ける」ものになるのはもちろん問題ない。
しかし、「お涙頂戴」っていうのは作品的クオリティ以前に、(クライマックスで泣かすぞ!)というやる気満々(笑)の作品だとも言えます。
こういうのが濫発されるっていう状況、いただけないんですね。




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