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マーク・ルーインのアナコンダ殺法を・・知らなくてもよい(笑) [エッセー・闘う敗北者たち]

ああ、それにしてもマーク・ルーインなど思い出したくもない、あの「アナコンダ殺法」!
マーク・ルーインの太い腕の中でサムソンクツワダは眠るように落ちて行った・・って、そんなこと思い出したくもない!
おかしいな。
ヒクソン・グレイシ―が船木誠勝をチョークスリーパーで眠らせた時も、エメリヤーエンコ・ヒョードルが藤田紀之をチョークスリーパーで悶絶させた時も、はたまたアントニオ猪木が天龍を「魔性スリーパー」(←何なんだ! 笑)で昏倒に追い込んだ(?)時も、決してマーク・ルーインのアナコンダ殺法なんて思い出さなかったおれなのに・・。

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孤独なカキの物語 カキティーヌの部屋 3 [小説・孤独なカキの物語]

カキティーヌは思うのだ。
(ポピラン織りで縁取られたレースのカーテン越しにこのカキティーヌの姿はどう見えているのかしら、あのヘルムート・ドイッチェン・カキ公爵には・・)
カーテンの向こう。
ヘルムート公爵の影は隠れようともしていない。
「ぼくははここにいるよ、カキティーヌ。ここで君を見ているんだよ、カキティーヌ」
敢えてそう言っているような意志を感じる蔭だ。
カキティーヌは少しだけ顔を赤らめ、小さく声に出した。
「ああ、ヘルムート伯爵・・。わたしを見ているの?
いえ、覗いているの?
覗き?
これって、ヘルムート伯爵う・・」

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「美と戦慄」の完璧なバランス 「ぼくのエリ 200歳の少女」 [生と死のためのアート]

トーマス・アルフレッドソン監督のスウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」にはもちろん派手なスプラッターシーンやCGを多用したシーンなどない。
「恐怖シーン」はもちろんあるのだけれど、「行き過ぎず、足りないこともない」という唖然とするほど見事なバランスの上に完成した稀有なヴァンパイヤ映画だ。
この作品の「恐怖シーン」を「怖い」と感じるかどうかは個人差があるだろうけれど、少なくとも優れたヴァンパイヤ映画に必要なのは「恐怖と美の融合」であると思う。
つまりヴァンパイヤ映画の恐怖シーンは美しくなければならないというのがわたしの考えだし、多くのヴァンパイヤ映画ファンも同じだろう(多分)。
「戦慄と美」、そう、牧歌的なきれいさなどヴァンパイヤ映画に必要ない。
「ぼくのエリ 200歳の少女」でどれだけ「戦慄と美」が混ざり合ったシーンがあったことか。
色彩のバランス、カメラの動き・・・すべてが信じられないほど完璧に近い。
「ぼくのエリ 200歳の少女」をハリウッドでリメイクするというのだけれど、この「完璧」をどうリメイクすると言うのか。

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吉高由里子「美丘」第5話。その反抗する目。 [吉高由里子]

吉高由里子を「可愛い」と言う人たちもいるし、それは間違いではない。
特に最近女子高生たちに高い人気を誇るとされる吉高由里子だ。
「可愛い」と表現されることは最近とみに多いのだが、「蛇にピアス」で登場した吉高由里子を見たときに「可愛い」などという言葉はまったく思いつかなかった。
ではどんな言葉が?
いくつもあるのだけれど、その一つが「反抗」だ。
そして昨年はテレビで封印されていた「反抗」する吉高由里子が、「美丘」の中では時折見られる。
恋人とのつき合いに反対する真矢みきを見る吉高由里子の目。
この反抗の目に、全吉高由里子ファンは痺れなければならない。



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君への本当の愛の短い言葉 新変奏曲 2010年8月8日 [愛の景色]

君がいないという空間と時間にこの何でもない8月の夜景を注ぎ込みながら穏やかな気分で眺めてみるのも悪くないな。

タグ:アート 言葉
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● ルコ美醜悪学 総論 10 [ルコ美醜悪学]

実利のみを追い求める人生というのは「本当の実利」を逃している可能性が高い、というよりもまず確実にそうだ。

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