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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、雛菊」篇。2017年1月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、雛菊」篇。

「猫、雛菊」

クリスマスローズと
レンゲさんが
蓮華座の上で
語り合ったという
その時鯖が飛んで来て

そう言えば、
柳生烈堂と
上様は
蓮華座の上で
今も語り合っているだろうか?

拝一刀と
烈堂は
蓮華座の上で
雌雄を
決したのだろうか?

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
雛菊の上で語り合うなんて
どうだい?


(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

末尾ルコ詩D「猫、豪気」篇。末尾ルコ「衣笠貞之助『歌行燈』は邦画史上屈指の恋愛映画である」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、豪気」篇。

「猫、豪気」

あぞうのが
薊野たる
あぞうのが
世界の中心になるなんて
なかなか豪気な構想じゃないか

・・・・・・

ぼくの豪気な部分は
真っ先に
ぼくの素敵なネコのため!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「衣笠貞之助『歌行燈』は方が至上屈指の恋愛映画である」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

たまに思い出すのだが、かつて日本で世間的にも「恋愛映画の象徴」的存在だった『ある愛の詩』がいつしかほとんど顧みられなくなっている。
わたしはもちろん(笑)『ある愛の詩』のファンではなかったが、取り敢えず世間的にはずっと「恋愛映画の象徴の一つ」として観賞され続けていくものかと思っていたが、まるでそうではなかった。
もちろんどんな映画でも、「突然の再評価」はあり得るのだけれど、少なくとも現在のところ、『ある愛の詩』を熱く語る人たちは多くない。
あまりに人口に膾炙し過ぎたフランシス・レイのテーマ曲も、今の時代にどこかで流れていたら、ちいとばかり滑稽にさえ聞こえそうだ。
「映画の名言」の一つとしてしょっちゅう取り上げられていた、
「愛とは決して後悔しないこと(Love means never having to say you're sorry)」という台詞も滅多に顧みられることがない。

そう言えば、「日本だけでヒットした」ことで知られる『小さな恋のメロディ』も昨今顧みられることはない。
わたしこの作品、子どもの頃に観たけれど、驚愕の甘ったるい展開に子どもながら身の置き所がなかった。

なんでこんな話をしているかと言えば、衣笠貞之助監督『歌行燈』が、恋愛映画としても実に実に見事であるからだ。
「恋愛のエッセンス」とでも言おうか、既に子どもではない(笑)わたしの心が物凄い力で揺さぶられるのだ。

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●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか? [「言葉」による革命]

●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか?

末尾ルコ「昭和文化史で知性と感性を鍛えるレッスン」

林寛子の「カモン・ベイビー」がアントニオ猪木VSモハメッド・アリと同じ年、つまり1976年の歌だったという事実にけっこう驚いたわたしだが、YouTubeで観た林寛子は現在のAKBなえんたら系のアイドルなどよりずっとクオリティが高く見えた・
もちろん「日本のいわゆるアイドル歌手」に対して「クオリティ」という概念を持ち出す意味があるかどうかとも思うけれど。
しかし「カモン・ベイビー」当時の林寛子は顔立ちも整い、声も大人の声をしている。
「単体」でもともと勝負できず、「大人数パッケージ」でどうにか売っている今のアイドルとはずいぶん違う。
そこで麻丘めぐみである。
幼い頃、(お、このお姉さん、いいじゃん!)と思ったアイドルの一人である。
その代表曲は、「わたしの彼は左きき」。
そしてわたしの記憶の中では、林寛子と麻丘めぐみはだいたい同時期に売れていた印象があるのだが、果たしてどうか?

ということで調べてみると、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」の発売は1973年となっている。
うーむ、3年間ほどの違いがあったのだね。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」+「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~「ヤバい」論と「凶悪」について。2017年1月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」+「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~「ヤバい」論と「凶悪」について。

「ヤバい」。

考えてみればこの言葉も日常的に食べ物とか要するに何でもかんでも「ちょっとばかしいいと思ったこと」に使われるようになってから、ぜんぜん「ヤバく」なくなりました。

「ヤバい」も可哀想に。

わたしは基本的に近年使われている「ヤバい」の意味で「ヤバい」を使うことはありません。
従来通りの「危険な」という意味です。

「危険」と聞いて、あるいは読んで、どんな印象を受けますか?
人間できれば「危険回避」を志したい。
当然の心理です。
でも「危険ゼロの世界」、それはきっととても退屈な世界です。

ここで「生と死」の問題に言及し始めるとこの後延々と続くことになりますが、人間はどうしても「危険に惹かれる」、「危険から何かを得ようとする」・・・そんな傾向はあります。

(とは言え、現実生活においては当然ながら、「危険は最小限に抑える」が原則です)

その意味で、「ヤバい」という言葉が「美味しい」とか「カッコいい」とかの意味で軽薄に使われる現在は、以前からずっと続いている日本社会の「悪しき無味無臭化」をより強める一因になっていると、わたしはそう感じているわけです。

日本アカデミー賞壇上で「ヤバい」新井浩文がいてとてもおもしろかったんですが、本来「ヤバい」新井浩文もテレビドラマではぜんぜんヤバくない。
淀川長治が口癖のように言っていた、「怖いですねえ」というフレーズは、「ホラー映画が怖い」の意味ではなく、「ヤバい要素のある」つまり「危険な要素のある」映画のことを言ってたわけですね。

で、近年の日本映画で非常に「ヤバい」作品としてお薦めが、

「凶悪」。

これはめちゃめちゃヤバくって、止まらないほどおもしろい日本映画です。

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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●錦織圭が「グランドスラムを獲れない」と日本人は嘆いていいのか?2017年1月27日 [「言葉」による革命]

●錦織圭が「グランドスラムを獲れない」と日本人は嘆いていいのか?

末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

2017年全豪オープンテニス4回戦で錦織圭がロジャー・フェデラーに敗れたことで、これまで以上にいろいろな意見が出ている。
錦織圭にグランドスラムのタイトルを獲ってほしい気持ちはわたしももちろん強く持っているが、なかなかそこまで届かないからといって、日本人はどれだけガッカリすべきか、時に批判的になるべきか、これはとてもとても難しい状況ではあると思う。
と言うのは、プロテニスの世界で「世界ランキング5位以内」に当然のように位置する錦織圭は、他の日本人アスリートたちとは比較にならないほど異次元の世界にまで到達しているのであり、そのレベルは五輪の卓球、女子レスリング、バドミントンなどでメダルを獲るとか、プロボクシングの軽量級でチャンピオンになるとか、そういった世界とは遥かに彼方の信じ難いほどのものなのだ。
これは決して他のスポーツを愚弄しているのではなく、競技レベル、競技人口、さらにどれだけ身体能力が高いアスリートが集まる競技かなども含めて事実を述べている。
要するにそれだけの「異次元」で戦う錦織圭に対してわたしたち日本人が軽々に、「また負けたか」とか「結局善戦止まりか」とか感じていいのかどうか。
これは小さくないテーマだとわたしは感じている。

・・・・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、蓮華」篇。2017年1月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、蓮華」篇。

「猫、蓮華」

レンゲ レンゲ
それは蓮華

グレッチェン・パーラートの唱の如き
それは蓮華

・・・・・・

ぼくの素敵なネコには
よく晴れた空が
本当によく似合う!

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年1月27日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

陶然とする
君に
どんな北風の日でも
暖かに
激しく
陶然と

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末尾ルコ詩D「猫、美」篇。末尾ルコ「誰がゴージャスか?山本富士子、広瀬すず?そもそもゴージャスとは?」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

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●末尾ルコ詩D「猫、美」篇。

「猫、美」

あぞうのは
薊の野である
薊の野は間違いなく
美しい

・・・・・・

ぼくの素敵なネコの美は
ぼくがすべて分かっている!

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●末尾ルコ「誰がゴージャスか?山本富士子、広瀬すず?そもそもゴージャスとは?」

末尾ルコ「映画と言葉で知性と感性を鍛えるレッスン」

山本富士子はいなせな女の役を演じたら殿下一品である。
そして日本の女優としては珍しく、「ゴージャス」という言葉がしっくり来る女優でもある。
現在の女優たちにも、「ゴージャス」という言葉がしっくり来る女優などいない。
綾瀬はるか?
ぜんぜんゴージャスじゃない。
吉高由里子?
違う。
二階堂ふみ?
はたまた違う。
広瀬すず?
まるっきり違う。
香川京子?
これまた違う。
京マチ子?
あ、ひょっとして・・・。

別に「ゴージャスでなければダメ」というわけではない。
往年のハリウッド女優でも、例えばわたしは最盛期にジョー・フォンテーンが大好きなのだけれど、ぜんぜんゴージャスじゃない。
ゴージャスとは別の美点が数多くあったわけだ。
しかし、「言葉無くして概念もなし」というセオリーは大雑把には正しいわけで、

「ゴージャス」という

言葉とその意味。
しっかり見極めて使おうではないか!

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●全日本プロレス「オープン選手権」と猪木VSビル・ロビンソンの1975年。その2 [「言葉」による革命]

●全日本プロレス「オープン選手権」と猪木VSビル・ロビンソンの1975年。その2

末尾ルコ「プロレス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

1975年、全日本プロレスの「オープン選手権」は結局開幕戦が最も盛り上がり、その後はどんどん盛り下がるという意外な結果となった。
その点は1977年の「世界オープンタッグ選手権」で、最終戦でファンクスVSブッチャー・シーク組の伝説的な名勝負を生んだ展開とは対照的でさえあったと言える。
なにせ「オープン選手権」は最終戦がジャイアント馬場VSホースト・ホフマンというシブ過ぎるカードとなってしまったのが逆に印象に残っているほどである。
ただ、このホースト・ホフマンは当時から、「実はとても強い実力者」という評判もあり、いずれまた検証してみたいと考えている。
「オープン選手権」の開幕戦でドリー・ファンク・ジュニアVSアブドーラ・ザ・ブッチャーという「夢の対決」がいきなり実現し、これはもう心に焼き付いている。
この試合は結局ブッチャーの反則勝ちとなっているが、ドリー・ファンク・ジュニアの入場シーンだけでワクワク度が最高潮になった。
後年「テリーの兄」という情けない位置付けになったドリーとはまったく違い、高級感に満ち溢れていた、と感じたのは日本製プロレス本の影響を受けまくっていたプロレス少年の幻影だったのだろうか。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~泉鏡花と黒木華、「何物」と朝井リョウ、そして「愛の渦」のヤバい新井浩文。2017年1月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~泉鏡花と黒木華、「何物」と朝井リョウ、そして「愛の渦」のヤバい新井浩文。

・泉鏡花の映画化を黒木華主演で観たいですねえ。
かつての日本映画、最高の「妖しい」映画は様々あった。
市川雷蔵の「眠狂四郎」や「大菩薩峠」は男優の「妖しさ」の極致です。
あ、そう言えば、他の俳優が「眠狂四郎」を演じてもつまらなかったのは、ぜんぜん「妖しさ」がないんですね。

そして「妖しい」傑作日本映画として、溝口健二「雨月物語」、黒澤明「羅生門」が代表格として挙げられる。
両作品とも京マチ子が主演。
京マチ子とタイプは違うけれど、
黒木華はその域に迫るポテンシャルを持つ女優として認識すべきです。

・「桐島、部活やめるってよ」が映画化されてとても高く評価され、原作の朝井リョウは小説界を超えた知名度を得たわけですが、実はわたしこの映画はさほど好みではなく、朝井リョウにもあまり興味はありません。
手法は目新しいけれど、ディープな何かを感じないのですね。
それはさて置き、朝井リョウ原作の新作映画「何者」はキャスト的におもしろそうだと。
公開予定が2016年10月の「何物」は、主な出演者が、

佐藤健、 有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉、 岡田将生、山田孝之ら。

興味深い出演陣です。
二階堂ふみと有村架純がこうした映画で共演するとは。
監督は三浦大輔。
三浦大輔は劇団ポツドール主宰。
自作「愛の渦」映画化で映画監督としての評価も高めています。

池松壮亮主演映画「愛の渦」は、演劇の脚本を演劇の演出家がそのまま感得した映画としてはなかなかおもしろく、日本のメジャー俳優が出演している作品としては珍しくハードなベッドシーンが多いものですが、池松壮亮はじめよく頑張って演じていた。
中でも新井浩文がよかった。
インチキ臭いと言うか、インチキそのもののヤバい人物を演じさせてこの自然なこと。
そう言えば新井浩文、2016年日本アカデミー賞で優秀助演男優賞にも選ばれて壇上に座っていたけれど、

(あれ、何でここにヤバい人が来ているの?)

という違和感プンプンでよかった。

映画だけでなく、芸術の世界、(ホントにヤバいんじゃ??)という雰囲気の人間がいなければおもしろくない。
別に新井浩文を(ホントにヤバいんじゃ??)と思っているわけではないけれど、でもそんな感じありまくりですよね。

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