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小説 神秘アンチエイジング&エロス 233 未来軒の夜 [小説 神秘アンチエイジング&エロス]

「いや、もうそろそれ帰らないと・・」
「あー、はいはい!お~っと、こんな時間か!いやあ、引き留めちゃったねえ!」
瑛次は店主の背後の壁にかかっている時計をチラッと見た。
9時を指している。
(9時?)
改めて驚き、呆れた。
(いったいおれは何をしていたんだ)
「じゃ、エイピー!また明日来てくださいね。ラーメンただにしますから」
「あ、はあ・・」
(誰が来るか)と思ったが、そんなことを口にできるわけもない。
「エイピー!ホントに来てくださいよ」
真理の声がかかる。
「はい、じゃあまた」
かくて長かった「未来軒の夜」は終わるのだが・・。

※この作品の中には現実のアンチエイジング方法や健康法などが出てきますが、その作品中で言及される効果などに関してはあくまで小説上のできごと、つまりフィクションであるとお考えください。
実際の効果には、個人差などがあるものだと思われます。

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趣味は・・「美の探究」です!  今日もバトンです [末尾ルコ(アルベール)より]

16 趣味・特技

趣味はですね~・・・「美の探究」です!
別に大袈裟なことではないのです。
バレエ鑑賞ももちろん美の探究ですし、本を読むことも映画を観ることも音楽を聴くことも美の探究です。
人間のことを観察することだって美の探究だと言えます。
そして「美」というのは「外観・形態」だけに留まらず、人間の行動や言葉、立ち居振る舞い、究極的には全てのものの「内実」においても「美」という観点を当てはめることができます。

美の探究、美を愛するということは、「醜」の存在を否定することではありません。
この世界から「醜」が無くなることはなく、わたしを含めたすべての人間の中に必ずある「醜の部分」というのも絶対に無くなることはないでしょう。
しかし「醜いものは無くならないから仕方ないよ」という態度はいただけません。
必ず存在する「醜」をも正確に見つめ、それを「美に転化」することはできないかと思考することが物事を変えていく原動力となります。

そんなこんなを含めて「美学」と呼んでいるわけです。
小難しい理論を打ち立てようとか、スノッブな世界観を気取ろうとか、そんなものではまったくないのです。

だから・・わたしの趣味はすべて「美の探究」と呼ぶこともできるわけです。


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かつて進学塾講師だったわたしの見た「日本の夫婦」の印象  「勝間和代の日本を変えよう」勝間和代(毎日新聞社) [ルコ的読書]

結論的に言えば、恋愛とか結婚とかはケースバイケース、一般化などできるはずがない。
誰かにとって「結婚は素晴らしいもの」であり得るだろうし、誰かにとって「結婚は地獄」でもあり得るだろう。
かなり確実に言えるのは、結婚を「素晴らしいもの」であり続けさせるには並々ならぬ努力が必要だが、「地獄」に陥るのは案外簡単で、しかも陥ってしまえば脱出は非常に困難な事態になるということではないだろうか。

わたしは以前約10年間ほど進学塾の講師をしていたことがあり、当然のことながらいろいろな家庭の事情というのも見る機会が多かった。
その時の印象はやはり「夫婦というのは難しい」というものだった。
月謝数万円の進学塾に子どもを行かせているわけだから、平均よりも裕福な家庭が多かったが、経済的に豊かでも夫婦仲が悪くなれば関係ない。
そして一旦夫婦仲が冷え込んだ人たちが配偶者について語る様子というのは、そりゃあ「血も凍る」と形容したくなるような(笑)冷たいものなのだ。
しかもそうしたことは特殊なものではなく、例えば40人ほど生徒のいるクラスを担当すれば、当初からすでに両親のどちらかしかいない子どもが数人、担当している1年の間にも2~3人の両親が離婚した、などということもあった。
もちろん離婚してない夫婦の方がずっと多いというのが事実で、「夫婦仲の冷却化」を誇張するつもりはないが、勝間和代の言うように「会社に依存するな、夫に依存するなって。」という意識が結婚前・就職前からあった方がいいことも間違いない。


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「Mother」第3話感想。吉高由里子、壇れいの「三人姉妹」なんてどうですか? [吉高由里子]

松雪泰子「Mother」がテレビドラマとして意欲作であるというのはもはや疑いないが、このドラマ自体がとても面白いかといえば、残念ながらそうでもない。
作りが丁寧なドラマだけに、「テレビドラマとは何なのか」という本質的疑問が湧いてくるのだろう。
例えば第3話では松雪泰子が切々と自らの過去について語るシーンが大きな見せ場となっているのだけれど、「テレビという場」の中でどうもしっくり来ていないというのだろうか。
まず切々と語るシーンの演出自体平板で、しかも語られるエピソードはややとってつけたような内容だと感じられた。
さらに「これを言ってはお終いよ」になるのだが、民放のドラマだとどんなに俳優が熱演しても、次の瞬間には浮かれた調子のCMが挟まれることになる。
特にわたしがそうなのかもしれないが、観ていながら「どうせCMが入るんだろ」、極端に言えば、「どうせCMのために展開を考えてるんだろ」という意識を捨てることができないという問題があるわけだ。
まあ少し意地悪な意識かもしれないが・・。

吉高由里子とチェーホフについて考えていたら、「三人姉妹」なんてよさそうだななどと思いついた。
三女が吉高由里子、次女が壇れい、長女が・・思いつかない。

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「電車男」 [末尾ルコ(アルベール)の成長する小さな映画批評]

「電車男」村上正典監督

山田孝之と中谷美紀の2人が醸し出す雰囲気には力があるが、登場人物たちのコミュニケーション行動にはほとんど共感し難いものがある。演出も映画的快感は乏しく、多分にテレビ的だ。最後のテレビ版のキャストが意味もなく出るあたりは「不快」。

4点
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木村太郎の悲劇  ローマ帝国編 その参 [生と死のためのアート]

木村太郎は「ローマ帝国では」と言いかけた時、安藤優子の中で何かが弾けた。
(あ~ん?「ローマ帝国」だあ~?また始まったよ、この太郎!仕分けの話題ふっただけなのに「ローマ帝国」だあ~?そもそもあんた、ほとんど用事がないのに「スーパーニュース」のスタジオに来てパソコンいじって仕事やってるふりしてるだけじゃないか!それが「ローマ帝国」だあ?大言壮語もええ加減にせんかい!)
という瞬間的な憤りが、いささか嘲りの鼻息とともに次の言葉を言わせた。
「ローマ帝国ですか~」
(うっ)
木村太郎は動揺した。
さすがに少し感覚のズレた彼でも安藤優子の「ローマ帝国ですか~」に込められた意味は理解できた。
その後何とか話を続けた太郎だが、何度も鼻に涙がこみ上げるのを止めることはできなかった。
そして太郎は思ったのだ、(今日本で一番不幸なのは、おれと高城剛さんだ・・)

(あくまで「想像」上の心象風景です)
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